ヨーロッパ中世政治思想 のバックアップ(No.2)
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ヨーロッパ中世政治思想 †
2018年4月 †
公会議運動において展開された憲法的なドクトリンについて答えさせる問題。
要点 †
- 公会議運動
- キリスト教徒全体を代表する公会議が、ローマ教皇の権力を制限しようとする運動のこと。
- 公会議運動の憲法的問題
- 教皇の同意なくして、公会議はいかに招集できるのか
- 会議を招集できるのは、最も権威のある者である
- 公会議は教皇に優越するどのような権威を持っているのか
- 公会議が優越していないと、教皇の権利を封殺できない
- 教皇の同意なくして、公会議はいかに招集できるのか
- 解決方法→憲法的なドクトリン
- 教会全体は、ローマ教皇に優越する
- 教会全体は、公会議によって代表される
- 以上の2つから、公会議は究極的な権威を持つ教会の代表とみなされ、憲法的問題が解決する。
- ドクトリンの帰結→代表理論
- 公会議に各地のキリスト教徒が代表を送り、基本的な問題を審議→代表や、代表を送る母体に権威があると考えられるようになる
解答例 †
公会議運動とは、14世紀から15世紀にかけて行われた、キリスト教徒全体を代表する公会議がローマ教皇の権力を制限しようとする運動のことである。当時の政治的混乱により、教皇が二人や三人になってしまったことが背景にある。
公会議運動には憲法的な問題が二つあった。一つは、教皇の同意なくして、公会議はいかに召集できるのかということである。会議を召集できるのは最も権威のある者であるから、公会議が自ら召集するためには、何らかの理論が必要である。もう一つは、公会議が教皇に優越するどのような権威を持っているのかということである。公会議が法的に優越していないと、教皇の権利を封殺できない。
そこで公会議運動では、二つのドクトリンが提唱された。一つは、教会全体がローマ教皇に優越するということである。このドクトリンに従えば、ローマ教皇は、教会の一部分、下部機関であるということになる。もう一つは、教会全体は公会議によって代表されるということである。以上の二つを認めるならば、公会議は究極的な権威を持つ教会の代表とみなされ、前に述べた二つの憲法的問題は解決する。すなわち、公会議は究極の権威を持つのだから自ら召集可能で、かつ、教皇の権力を制限することができる。
これらドクトリンの帰結として、代表理論というものが出来上がった。公会議には各地のキリスト教徒が代表を送り、基本的な問題を審議する。すると、代表や代表を送る母体に権威があると考えられるようになった。
(617文字。もう少し増やしてもよい)