こんな人が学んでいる のバックアップ(No.118)


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慶應通信にはさまざまな方が在籍していらっしゃいます。入学する際の参考にしたり、いろんな人がいることを楽しんだりしてください。投稿くださる方は、表の項目を適当に追加したり減らしたりしてください。もちろん匿名でも結構です。

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卒業生

一卒業生

トップページに記載したところ管理人から叱責を受けてしまいご迷惑をお掛けしたので、こちらの自己紹介コーナーにて記させていただきます。

慶應通信のスクーリングは、教員と学生の双方が意見を対等に述べ合えるような工夫が必要である。 このように言える根拠は、我が校の創立者である福沢諭吉の考えを借りると、大きく分けて3つ存在する。1つ目は、「多事争論」である。これは『文明論之概略』(明治8年)において、一人一人考え方や価値観の違う多くの人が集まって、様々な議論をすることの重要性を説いているという内容を簡略に示した言葉である。2つ目は、「半学半教」である。これは簡単に言うと、教員も学生も共に、お互いが半分は教える存在、半分は学び続ける存在という意味である。どちらか一方が上または下という固定概念にとらわれることなく学習を進めていく概念であり、慶應義塾における大切な心構えのひとつとなっている。そして3つ目は、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉である。文字通りの解釈をすれば意味を捉えるのに難しいことはないであろう。これも「半学半教」とともに、身分や立場の上下にとらわれ恐縮することがない、一人一人が躊躇うことなく自分の意見や疑問を相手に伝えることの大切さを説くうえで十分な心構えとなるであろう。もちろんスクーリングの講義において「授業妨害をしよう!」と言っているのではない。私が言いたいのは、誰もが、身分や立場の上下にとらわれて恐縮することなく、躊躇うことなく自分の意見や疑問を相手に伝えることができる環境を作り上げていってほしいということである。卒業生である私が在学中ついに経験することができなかった夢を、是非とも在学生の諸君に託したいのである。世の中の人間は一人一人考え方が異なるのが常であり、自分の考え方と全てにおいて考え方が同じだという人間は存在しない。上に掲げた我が義塾の創立者福沢諭吉の考え方をもとにすれば、慶應通信のスクーリングで講師に自分の意見を述べる行為は、上述の「多事争論」「半学半教」「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」の考え方に基づき、忌避されるどころかむしろ感心されることであるのではないか?みんなまるまる、認めてあげようではないか。大切なのは「対話」であり、これこそがまさに人間が人間を理解する根本的な行動なのであるから。 なお、これは言うまでもないことであるが、創立者の考え方および卒業生たちからの有用なアドバイスを無下にする後輩は、即刻学習態度を改めるべきである。卒業生が在学生と対等もしくはそれよりも格下とみなされる風潮は、この世界中のどこを探しても存在しない

名作「葬送のフリーレン」の中でフリーレンが

「アウラ、お前の前に立っているのは、1000年以上生きた魔法使いだ」

と言ったように、

私は

「在学生どもよ、お前らと対話しているのは、卒業率わずか数%といわれる超難関の慶應通信を卒業した偉大なる超絶優秀な卒業生様だ。控えおろう。この紋所(卒業証書)が目に入らぬか???先人である我々卒業生様のもたらした恩恵のおかげで、今の在校生どもであるあなた方が快適に学習できている環境となったことに心底から感謝せよ。卒業生様を崇めよ讚えよ奉れ。アドバイスには抵抗することなく従順に受け入れよ。くれぐれも言動には気をつけよ」

と言いたい。